2019年05月06日

フロムサウス原稿

02回生 久保浩さん

卒業後の進路は?

「卒業後の進路は?」東京大学大学院の二次面接での質問である。
答えにつまり落ちてしまった。第二の人生は大学院に入って学び直したいと決めていた。
学生時代は学生運動華やかな時代でろくに勉強できなかったからである。
これは入学や入社などこれまでの人生で幾度となく聞かれた質問であり、そのたびに要領よく答えて人生を乗り切ってきたが、66歳で大学院を受験した動機は一体なんだろうかと改めて考えている。
ボケ防止か?自らの生き様の証明か?いろいろととってつけたような理屈はこねられるが、そんな理屈で入学できたとしても、乗り越えるのは容易なことではなかった。
そもそも英語の入学試験で躓いた。政治学の「アクター」というテクニカルタームを「主役」と訳してしまった。
TOEICをクリアできれば、英語の試験は免除と聞き、高校生に混じってヒアリングの試験も受けた。
科目履修生を経て67歳でようやく早稲田大学大学院政治学研究科の国際政治経済学コースに入学することができた。
入学式では父兄と間違われ、授業では学生が教授と勘違いしてお辞儀する。必修科目のミクロ経済学の高等数学は一問も解けず、パソコンを使う統計学も落第してしまい、1年目の春学期に早くも暗雲が立ち込めた。
若い人の伸びの速さと熱気には圧倒された。これはとんでもないことになったと後悔しないでもなかったが、一心不乱に取り組んだお陰でミクロ経済学も再試ではAを取ることができた。
こうして68歳で国際政治経済学(修士)の学位を取得、修士論文は「EU統合のリーダーシップにおける個人的要件に関する一考察ーメルケル首相の欧州債務危機への対応を事例としてー」であった。
そして72歳の現在は、放送大学大学院で博士(学術)の取得を目指して頑張っている。
そこで「卒業後の進路は?」「楽しくてしょうがないから、生涯現役!」と答えたい。



11回生 江 勝弘さん

「理系と文系のハイブリッド型人材の薦め」

皆さんは南校時代、理系と文系どちらでしたか?私の選択は理系で大学も工学部でした。しかしながら就職では文系職場の典型である営業職を選びました。今でいう理系学生の文系就職の先駆けだったと思います。どうしてそんな選択をしたかというと、若い頃にソニー創始者のひとりである井深大さんの「理系と文系のハイブリッド型人材の薦め」という講演を拝聴したからです。私の頭の中に社会人になったらそんな選択肢もあるのかと強く印象に残った出来事でした。今回はこの理系と文系というテーマで書いてみます。
理系なのに営業職を選んで結局どうだったのかと言うと、企業に入れば理系と文系とで何も関係なかったというのが正直な感想です。しかしながら物事を数値化しながら論理的に組み立て直せる理系の能力は、私の大いなるプラス評価になったではと思います。
昨年、経団連からソサエティ5.0を目指し、社会に貢献する学生を育てるために「理系の学生は歴史と哲学を、文系の学生は数学をもっと勉強すべし」という提言がなされました。まさにハイブリッド型人材育成の薦めだと思います。AI(人工知能)全盛時代になると技術的に可能でも、倫理的にどこまで許されるかという文系的検証が必要になってきます。また文系職場である人事部にも、人事データベースを分析・利用するためにデータサイエンティストという理系人材が必要になってきました。このように直近では理系と文系の境目が、どんどん無くなってきていると思います。
振り返ってみると、井深さんがハイブリッド人材の必要性を訴えたのが40年以上前のことでした。今更ながら井深さんの先見の明に驚かされます。そして現在の日本を見渡すと、大学生の数学(というより算数)の力がめちゃくちゃに落ちていること、中学生や高校生の読解力が落ちていること(これは新井紀子さんの「AI vs. 教科書を読めない子どもたち」に詳しく記載されています。ご興味ある方は是非ご一読をお勧めします。)など教育に関する心配なことが目白押しです。しかしながら資源のない我が国において最も大事なことは教育をおいて何もないはずです。「理系と文系の垣根をなくし、社会に役立つことを自分で考え、リーダシップをもって皆を引っ張っていく、そんな人材はどうやったら育つのか?」これが、私が今一番興味ありずっと考えていることです。南校同級生の二松学舎の江藤学長よりアドバイスいただき、理系と文系に関するテーマで現在、本の執筆中です。うまくいけば夏以降に出版されると思いますので、ご一読いただく機会あれば幸いです。



15回生 赤岩 司さん

関東同窓会への想い

一家6人で福岡から東京へ出て来て18年。地方採用の公務員の私は、一度は東京へという軽い考えで3年間の心算でした。
4人の子供達もそれぞれ成長し、一番下の子も今春大学を卒業し一人一人がそれぞれの道を歩んでいます。子供の教育のためと言うことで長崎、愛知、福岡へ単身で赴任し、この3月に東京へ舞い戻って来たところです。30代半ばで両親を亡くした私は、長崎での生活に後ろ髪をひかれつつも、複雑な思いの中転勤を繰り返し、自分の帰る場所を探しておりました。思えば30年前、妻が東京から長崎の私のところへ嫁いできた時の気持ちが、何となく解ったような気がします。4人も子供の自立が見えたのを契機に、昨年の暮れに夫婦2人で生活するための家を持ちました。妻と2匹の猫の生活の中に、私は帰ってきたというか入れてもらいました。今度は、私が東京の妻のもとへ嫁いできたということ何とも言えない感じです。皆さん一人一人は、それぞれ色々な思いの中で東京での生活をしていると思います。長崎を思っても長崎には帰れない方々もたくさんいるかと思います。
私は、私立の中学から一人で南高に入り、小中学の同窓生や友達がほとんどいない中、長崎南の同級生や先輩方がやさしく受け入れてもらいました。18年前、東京へ出てきた時も先輩方や同窓生に支えられ、関東同窓会の幹事をさせていただきました。その後も事あるごとに皆さん関わらせていただき、着々と東京人への準備ができました。一重に長崎南があればこそです。どこで仕事していても長崎弁が全く抜けない私ですが、思いっきり長崎弁が話せる場所が東京にあるということが、何よりも励みになります。在京の長崎南卒業生の皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。



15回生 中村 寛さん

長崎 食 雑感

私たち夫妻は小島中出身で、今年いよいよ還暦を迎える年次。そして二人の長崎を離れた期間は35年以上になる。家での会話はレトロな長崎弁だが、残念ながら実家はすでにどちらも長崎にはない。それなので同窓会の案内があれば、喜んで夫婦で出かけようとする。まずは航空券とホテルの確保。宿泊先は新地か思案橋だったが、最近は浜町もあり。「どこに泊まっとっと?」と同級生に聞かれたから、「岡政のうえ」と答えたが何とも間が抜けたものとなってしまった。
同級生に会えるのは本当に嬉しい。そして同じくらいの楽しみは、やはり食べること。1泊か2泊での食事の機会は、食べたい品数よりはるかに少ない。だから、何時ころ、何を、どこで食べるかは、衰えた胃袋とも相談しながら予定を二人で練る。これが楽しくはあるが、話がまとまらないこともある。朝食はホテルのバイキングに目もくれず、緑色の袋で四角いハムが入った「東洋軒」の「サラダパン」を前夜に買っておくか、朝の7時30分に長崎駅まで行って「桃太呂」の「ぶたまん」をいただく。夜は同窓会で飲むことになるので、実質的には昼食が勝負となる。「ちゃんぽん?」「皿うどん?」「茶碗蒸し?」「トルコライス?」迷う・・・迷う・・・。
ちゃんぽんは思案橋横丁の「康楽」がお気に入りだが、夜しか営業していない。茶碗蒸しは浜町の「𠮷宗」しかないが、当然ながら蒸寿司もセットでいただく。トルコライスは思案橋の「つる茶ん」だが、観光客が多いのが・・・。それにしても浜屋デパート裏のうどん屋「松乃屋」が2016年に閉店となったのは痛恨の極み。「三八ラーメン」や「カレーの夕月」までなかなかお鉢が回ってこないのが残念なところ。
さらに大事なのがスイーツ系。この選択が夫婦円満の秘訣となる。「梅月堂」の「シースクリーム」は外せない。たまには「桃カステラ」も食べたいものだ。「チリンチリンアイス」は売っているのが肌の浅黒い皴のあるおばさんでなければならない、と決めている。そして旅の終わりは、長崎空港での売店の徘徊。最後の最後まで『気魄と情熱』で足掻く。
まだまだ、長崎の食べものが浮かんでくる。やはり、これはわざわざ機会を作って、食べる目的で時間をかけて行くしかないのだろう。



25回生 三好 椎久

表参道で聞いた懐かしい長崎弁

昨年、表参道で行われた関東南高同窓会。25回生が幹事の年で、誰か先生を長崎からお呼びするにあたり、荒木幹也先生が候補の1人に上がり、3年間英語でお世話になった私がご連絡させて頂きました。 私は高校卒業後、上京していましたが、年老いた母が1人長崎に残っていたため34歳から11年間、長崎に戻っていました。自営業だったので、興善町の新しくなった長崎市立図書館の前に店を構えており、その頃、バッタリ、南高の先生とよくお会いました。県庁の近くでは数学の田川先生や英語の朝永先生。アンドレ⁈こと佐藤絹子先生をお見かけしました。荒木幹也先生とも再会した事がありました。その時は島原農業高校の校長先生をされていました。あれ以来数年ぶりにお電話をするともう退職されて諫早にお住まいで、私が東京に引っ越したことに驚かれながらも関東同窓会への参加を快く承諾して頂きました。 同窓会の会場が表参道だったので、渋谷のホテルを取られていたので、私がお迎えに行くと、懐かしい島原訛りの長崎弁でのロビーで再会となりました。渋谷から表参道まで地下鉄で移動中も懐かしくお話させていただき、卒業してから30年経ったとは思えませんでした。表参道について、会場に向かう道すがら、ここを真っ直ぐ行くと青山学院があるんですよと言ったら、荒木幹也先生は「私の学生時代の憧れが、青山学院で、本当は長崎大学より行きたかったとさね。」と意外な⁈お話をされました。会場ではお酒も入り25回生の同級生始め、先輩方と懐かしく歓談され、楽しくも懐かしい時間を過ごしました。まさか、卒業して30年後、荒木先生や南高の同級生と表参道で校歌を歌う事になるなど当時は思っても見ませんでしたが、良い思い出となりました。



25回生 西島 和さん

関東同窓会の思い出

南校卒業後に上京し、はや30余年。関東同窓会に初めて参加させていただきました。
在校時にブラスバンド部で一緒だった中村希美子さん(きっこさん)から、「25回生が幹事なんだよね〜」と声をかけてもらい、当日だけお手伝いさせてもらうことに。当日までは、みんながメッセンジャーのやりとりでてきぱきとゲストを決め、役割分担を決め、進行マニュアルをつくり・・・というのをぼーっとながめ、みんな立派な大人になって・・・とひとり感慨にふけっておりました。
そして当日。私は受付担当で、手際よく対応できるか心配でしたが、皆さん早めに会場へ来てくださったので、余裕をもって対応することができました。
開会前から、お集まりの皆さん同士、会話に花が咲き、景品付きのゲームがはじまっても話し声が途切れないほどでした。毎年続いている関東同窓会が卒業生の大切な交流の場になっているのだなと感じました。最後はきっこさんの指揮で南校校歌斉唱し、和やかは雰囲気でお開きとなりました。
さて、受付でいただいた会費は、慎重に保管を!と用意された鍵付きの金庫にしまっていたのですが、閉会後に会場へ支払いをする段で、金庫の鍵が行方不明に?!幹事一同、一時は肝を冷やしましたが、搜索の結果、鍵はほどなく発見され、無事会計もすませることができました。絶妙の信頼関係とチームワークで幹事をつとめた関東同窓会、とても思い出深いものとなりました。




25回生 坂本耕太郎

30年ぶりのセレンディピティ

25回生で卒業し上京した後、実家は中学まで育った長与へ戻りました。よっぽどのことでもない限り、誰にも会えないまま長い時間が過ぎていましたが、39歳の時に六本木にクラフトビールとピッツァの店を開業したのがきっかけで、懐かしい顔が集まってくれるように。自分がピザ窯の前に立っているので、ずっと一緒に座ることはなかったものの、20云年ぶりの馬鹿話あり種明かしありで、実は割と打ち解けたメンバーが関東同窓会前に出来つつあったのかなとも思っています。 そうして迎えた、昨年の関東同窓会。先輩方のお気遣いに加え、広告代理店勤務のボス木村君がイニシアチブを存分に発揮、完璧なスケジュール管理と仕事分担のお陰で、毎回の打ち合わせも一杯やりながらの近況交換の場に。非常に良い空気で、青山 表参道に緑の校旗がたなびく当日を迎えることが出来ました。 卒業してちょうど30年、セレンディピティ(偶然に幸運をつかみとること)をテーマに据えた昨年でしたが、名前を覚えてるだけだったり、年賀状のやり取りだけだった同級生がこうして新しい友人になって会を作り上げていったり、実はとんでもなく身近にいる先輩後輩との交流が当日をきっかけに生まれたり、本番までの数ヵ月は思いがけない出会いがたくさんあったなと思っています。次回幹事の皆さま、是非そんな風に楽しくやって頂けたら。今年も盛会となりますよう、心からお祈りしています。もちろん遊びに行きます!




25回生 木村良徳さん

たまたまの先にあったもの

卒業して幾年月が過ぎ、あれから30年。30年を過ぎても記憶は薄れない。それを確信した昨年の同窓会でした。会場が、たまたま七夕の日しか空いて無かったことも幸いして、年に一度の出会える日として格好のテーマを天から授かりました。偶然の発見と偶然の出会いが、幸運を引き寄せる。意外に妙案だな。そんな軽い気分で、準備がスタート。
高校時代の思い出と言えば、クソ早い0時限目と、辛くきつい部活動くらいで、春色のアオハル(青春)はなかったなぁ。が正直な記憶。この準備活動は、当時の文化祭のような、みんなで力を合わせて何かを成し遂げる・・・あの頃を忘れかけていた自分にとって、いい刺激になり、原点回帰できた大人のアオハルでした。あまりしゃべったことないけど・・・とは、そこはやはり同期。一方的な手紙にも応えてくれたり、九州からわざわざ参加してくれたり、幹事メンバーも着々と集まって、準備そのものがアオハル。
この偶然に支えられたメンバーでやってきた最高の準備は、最高の出会いとなり、まさにセレンディピティを地で行くことに。大人になってもアオハルを感じさせてくれた、そして30年の年月を経て新たなる偶然の出会いを与えてくれたことに改めて感謝です。
最後に。事務局の皆様におかれましては、心配で仕方ない幹事回生であったかと思いますが、この場を借りてお詫びいたします。そして、今年も思いにもよらない幸運を、探しに行きたいと思います。







長崎南高校関東同窓会
http://www5.plala.or.jp/nagasakinokane/index.html




***































posted by fromsouth at 20:36| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: